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神社とお寺の違い

神社とお寺の違いとは?

意外と知らない?神社とお寺の違い

神道とはそもそもどんな宗教?

神道は昔から日本に伝わっている宗教で、その歴史は縄文時代にもさかのぼるほど古いとされています。 キリスト教やイスラム教のような一神教とは違い、祖霊や自然物、そして身の回りのあらゆるものに神が宿っているという考え方を持っています。 そのため、日本各地にある神社では、それぞれ祀られている神様もさまざまです。

このような考え方のことを、「八百万の神」とも言い表します。 「もったいない」という言葉に代表されるように、日本人が身の回りのものをとても大切に扱うのは、そのすべてに神さまが宿っているから、という考えがあるからかもしれませんね。

また、イエスやムハンマドのように、特定の開祖もいません。 誰かが教えを始めたのではなく、古代の日本人が生活をするなかで、自然発生的に生まれていった宗教が神道なのです。 ですので、教義や戒律のような特定のルールも決められていませんし、経典のような書物もありません。 ただし、天照大神を始めとする数々の神様を描いた神話は、『古事記』や『日本書紀』などの古典にも記されています。

神社はどのようにしてできたのか?

神社というと、みなさんはまず建物を思いかべるでしょう。 しかし、神社の由来をたどっていくと、もともとはただ山や岩、巨木、滝などを神様が宿るものとして、野外に祀っているだけのものにすぎませんでした。 やがて、そのような祭殿が常設されるようになっていくと、敷地として区画され、お社などが建てられるようになっていったのです。

神社には、基本的にどこも入口に鳥居が建てられています。 これも本来は、神様の降りてくる土地として、人の暮らす俗世界とははっきり区別するため、境界の目印として建てられているものなのです。

このように、神社は日本各地でさまざまな神様が祀られています。その名称には、神様の名前をそのまま付けたものも多くあります。 やがて明治時代になり、国家神道となると、それまでばらばらに存在していた全国の神社が、いっせいに格付けされて国家のもとで管理されるようになりました。 そのときに、伊勢神宮や明治神宮のように皇祖神や天皇を祀っている神社が「神宮」と認められるようになったのです。ほかにも、「大社」や「宮」などの社号を名乗るのには天皇の勅許が必要となりました。 戦後は国家の管理から外れたために、現在ではこれらの社号も自由に名乗ることができるようになっています。

現在では、天皇家の儀式はすべて神式にのっとって行われています。したがって、葬式も私たちが行うような仏式ではなく、神葬祭で死者を弔います。 もちろん、位牌や仏壇は用いず、霊璽を作って御霊舎にお祀りします。四十九日や一周忌の法要に当たるものは、十日祭、五十日祭、一年祭、十年祭といったものがあります。

お寺も、日本文化として私たちが深くなじんでいるものですが、その起源はあくまで外国からもたらされたものです。 その点で考えると、それ以上に長い歴史を誇る神社は、日本文化の根本といってもいい存在なのかもしれません。

仏教とはそもそもどんな宗教?

仏教は、紀元前5世紀にインドのお釈迦様によって説かれた教えを元に、後世に形作られていった宗教です。 日本には、中国を経由して朝鮮半島の百済から1500年ほど前に伝わりました。それ以降は神道とともに、長い間ずっと日本人の生活に深く根付いてきました。

神道との大きな違いは、教義や戒律が宗派ごとに定められ、さまざまな経典も伝えられているという点です。 また、ほかの多くの宗教とは異なり、神様を信仰するのではなく、最終的には修行によって自分自身が仏になることを目指すというのが大きな特徴です。

お寺はどのようにしてできたのか?

お寺というと、日本の伝統的な建物というイメージがあるかもしれません。しかしその由来は、やはり仏教が誕生したインドにまでさかのぼります。

仏教では「出家」というように、修行をするときは基本的に家を出ることになります。つまり、修行僧は野宿をするのが当たり前だったわけですね。
その一方で、仏教には不殺生戒という、生き物を殺してはいけないという根本的な戒律がありました。そこで、雨期に虫などを知らず知らず踏みつぶしたりしないように、瞑想を行うための場所としてお寺が建てられるようになったのです。

現在でも、お寺は住職や僧侶、尼僧などが修行をするための場所となっています。 お寺の名前には、寺院や院、庵、坊、大師といったさまざまなものが付きますが、基本的にはどれも大きな違いはありません。

お寺には、それぞれの宗派が崇める仏様が、ご本尊として安置されています。 釈迦如来、大日如来、薬師如来などの「如来」、聖観世音菩薩、文殊菩薩、そしてみなさんにおなじみのお地蔵さんなどの「菩薩」、また不動明王などの「明王」と、仏像にはさまざまな種類があります。そのお姿は、どれもみなさんよく見おぼえのあるものばかりではないでしょうか。

ご本尊が安置されているのは金堂ですが、これは、私たちがお祈りをする礼堂と建物がいっしょになっています。つまり、いつでも直接そのお姿を目にしやすいということですね。 その一方で、神社では基本的にご神体は人目に触れないようにされています。それとくらべると、より仏様のほうが身近な存在と感じられるかもしれませんね。

私たちが亡くなった人を弔うときには、ほとんどの人が仏式でお葬式を行います。位牌や仏壇、そして初七日、四十九日、一周忌、三周忌などという区切りも、そのすべてが仏式にのっとったものです。 ところが、このような儀式を行っているのは、じつは日本の仏教だけなのです。私たちにとってはなじみ深い、檀家や戒名といった制度も、日本にしかありません。 そもそも、ほかの国では、仏教は宗教というより哲学として受け入れられているところが多いのです。 日本の仏教は、その考え方を輸入したうえで、日本の環境に合わせて独特な進化をとげたものと考えたほうがよいでしょう。

神道と仏教にはどんな関係があるのか?

日本人にとって、どちらも身近な神道と仏教ですが、意外とそのふたつを正確に区別できる人は少ないのではないでしょうか。 ですが、それはある意味でとても自然なことなのです。

なぜなら、日本ではこのふたつの宗教はおたがいに争うことなく、混じり合うようにして人々に受け入れられていったという経緯があるからなのです。 このことを、「神仏習合」といいます。

もともと、神道には大きな教義や戒律がなく、それぞれの地域で信仰されいるだけのものでした。そこにインドや中国で体系化された仏教が輸入されることで、うまくお互いを補い合って、より広く日本人の生活に根ざしていくことができるようになったわけです。

その結果として、神社に「神宮寺」が建てられたり、逆にお寺に鎮守神が祀られたりということも、ごく当たり前のように行われてきました。 6世紀に仏教が伝わって以来、江戸時代まではずっとこのような形で、神道と仏教は強く区別されることがなかったのです。

しかし、明治時代になると、天皇の統治に合わせて神社は国家神道としてしっかり体系づけられることとなりました。そのために政府は、「神仏分離」を積極的に行うようになっていきます。 これによって日本では、はじめて神道と仏教がはっきりと区別されるようになったのです。しかし、それでもまだ神社に鐘楼があったり、お寺に鳥居があったりと、その名残は今でも残ったままとなっています。

つまり、じつは誰であっても、ぱっと見ただけでその建物が神社かお寺かを見分けることは、意外と難しいものなのです。

それぞれの成り立ちで説明しましたが、本質的には神社は神様のいる場所、そしてお寺は僧が修行する場所、というように大きな違いがあります。

しかし、もっと簡単に見分ける方法もあります。それは、建物の屋根を見ることです。 神社には、屋根の両端に交叉して飛び出した「千木」と、屋根の上に平行に並べられた「鰹木」というものがかならずあります。これはお寺にはないものなので、形をおぼえておけば、すぐに判別ができるようになるはずです。

このように、日本人が神道と仏教をはっきりと区別できないことには、しっかりとした理由があります。 家に神棚と仏壇の両方が飾られていたり、初詣に神社を訪れ、お墓参りにお寺を訪れることは、特におかしなことでも何でもないのです。

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